へちま
2019年 08月 19日
へちまのへーたろー
散歩をしていたら、何年ぶりかにへちまの花に出くわした。
最近では、へちまを植えている家は珍しい。先日見たときは、
まだ花をつけていないへちまの横にひょうたんがぶら下がっ
ていた。
ひょうたんは、かつては、食料にもなっていたが、へちま水
と言って、薬にもなったし、へちまコロンといって、化粧水
にも使われた。また、へちまたわしとして重宝され、今でも
使われていると思われる。
今日のグリーンカーテンとして、ゴーヤが植えられている所
が多いが、かつては、それに似たような存在だった。
キュウリに似たところもあるが、へちまの花はきゅうりの
数倍の大きさがある。へちまの大きさは、きゅうりの2~
3倍の大きさになる。
折角、へちまを見たので、へちまの絵本で、へちまを見
てみることにする。
二宮由紀子作、スドウピウ絵『へちまのへーたろー』教育
画劇という絵本がある。少し長めの絵本だ。
へちまのへーたろうが、蔓にぶら下がっている下に来た
人間の子どもが、へーたろうを見て、「きゅうりじゃない。
あっちへいけ」という。子どもは、「ね、おかあさん、き
ゅうり、きゅうり」とへ―たろーを指さして、大人の人に
向かって叫ぶ。
ここから、子どもとへーたろうのきゅうりとへちま合戦が
はじまる。「きゅうりじゃないといえ」とへーたろーが
いくら頑張っても、相手には通じず、女の人は、「そうね、
きゅうりね」と言って、去っていく。
われるだけファイトがわいてくる。
痩せているから、キュウリに間違えられるのだと、太る努力
をする。でも、子どもは「ふとった、きゅうり」というだけ
で認めてくれない。
「つるつる すべすべの へちまに なってやる」それ
なのに、「きゅうり、へんてこ」と相手にもされない。
やる。人間の言葉の猛勉強だ。
子どもが来たので、「こども げんきか?」と言うと、子
どもは 「へんなこえ」というだけだ。
ところが、へーたろーが「おいこら ここだ ここだ」と
でしゃべるのに驚いて、おんなのひとは「きゃああああっ」
と言って、走って行ってしまった。
と言って、走って行ってしまった。
一人だけで来た子どもに、「どうだ、こども、かわいい
こえだろう」と自慢げに言うと、「きゃああああっ、きゅ
うり、しゃべった」と叫び、走って行ってしまった。
うり、しゃべった」と叫び、走って行ってしまった。
涙がぽつんと下の地面に落ちた。
りと間違えられるのは、きっと近所に似たきゅうりがいる
に違いないと考え、懸命に似たきゅうり探すと、なんと、
近所に似たきゅうりがいたのだ。
見れば見る程、両者はよく似ており、お互いにそれを認め
合う。しかし、へーたろーは「おれは、きゅうりじゃない
ぞ」と言う。一方のきゅうりも「おれも、へちまなんかじ
ゃない」という。それでも、でもお互いに似ていることを
認め合い、「顔を合わせて、がははははは」と大きな声で
笑ったのだった。
合う。しかし、へーたろーは「おれは、きゅうりじゃない
ぞ」と言う。一方のきゅうりも「おれも、へちまなんかじ
ゃない」という。それでも、でもお互いに似ていることを
認め合い、「顔を合わせて、がははははは」と大きな声で
笑ったのだった。
お互いが似ていることを認めながら、それでも、きゅうり
とへちまの違いも認め合う。たかがきゅうりとへちまの話
と、タカをくくっていたが、なかなかなものだ。
とへちまの違いも認め合う。たかがきゅうりとへちまの話
と、タカをくくっていたが、なかなかなものだ。
この話の中で、一番気になったところは、力の入っている
箇所が、子どもと大人のファッションセンスの良さだ。二
人がペアルックであったり、違いがあっていても、お互い
の服の色がうまくコーディネートできているところなど、
とても素晴らしいセンスだと感心した。
箇所が、子どもと大人のファッションセンスの良さだ。二
人がペアルックであったり、違いがあっていても、お互い
の服の色がうまくコーディネートできているところなど、
とても素晴らしいセンスだと感心した。
=======================================
by ehondamari
| 2019-08-19 21:00
| 絵本と子育て・保育
|
Comments(0)